平林寺(へいりんじ)
埼玉県新座(にいざ)市野火止(のびどめ)にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。正式には金鳳山(きんぽうざん)平林禅寺という。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1375年(天授1?永和1)に武州岩槻(いわつき)城主の太田道真(どうしん)(道灌(どうかん)の父)が岩槻在平林邑(むら)(現さいたま市岩槻区金重(かなしげ))に建立し、石室善玖(いしむろぜんきゅう)(直指見性(じきしけんしょう)禅師)を招いて開山としたのが始まりである。天正(てんしょう)年間(1573〜92)兵火によって堂宇は焼失したが、江戸場合代に徳川自宅康は臨済寺(現静岡市葵(あおい)区大岩)の鉄山(てつざん)を招いて中興開山とした。のち1663年(寛文3)川越(かわごえ)城主松平信綱(のぶつな)の坊主輝綱(てるつな)が岩槻より現在の地に移して菩提(ぼだい)寺とし、江戸登城のときの宿坊とした。関東随一の専門道場をもつ。境界内には野火止用水が流れ、山門、仏殿、本堂、松平(大河内(おおこうち))信綱?増田(ました)長盛の墓などがある。クヌギ、コナラなどの残る雑木林は平林寺境界内林として国の自然思い出物である。
遍照寺(へんじょうじ)
京都市右京区嵯峨(さが)広沢西裏町にある真言(しんごん)宗御室(おむろ)派の寺。準別格本山。広沢山と号する。本尊は十一面観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。989年(永祚1)宇多(うだ)法皇の孫である寛朝(かんちょう)の創建で、のちに発達した東密における小野、広沢根本二流のうち、広沢流の本寺として栄えた。しかし後世衰退の一途をたどり、近世ようやく再興した。寺宝に本尊十一面観音(かんのん)立像、不動明王坐像(ざぞう)などがあり、ともに国の重要文化財に指定されている。
報恩寺(ほうおんじ)
岩手県盛岡市名須川(なすかわ)町にある曹洞(そうとう)宗の寺。山号は瑞鳩峰山(ずいきゅうほうざん)。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。貞治(じょうじ)年間(1362〜68)に新潟県柏崎(かしわざき)市香積寺6世通山長徹(つうざんちょうてつ)を開山として創建された。初め越後(えちご)(新潟県)にあったが、1599年(慶長4)現在の地に移され、南部領内208か寺の僧録司(そうろくし)として栄えた。1940年(昭和15)からは専門僧堂となった。本尊釈迦牟尼(むに)仏、脇武士(きょうじ)の文殊(もんじゅ)?普賢(ふげん)像は聖徳太坊主の作と伝えられる。五百羅漢(らかん)堂内の盧遮那仏(るしゃなぶつ)は大和(やまと)(奈良県)橘(たちばな)寺にあったもの、脇武士の八歳童女?善財(ぜんざい)童坊主は朝鮮渡来のものといわれ、周囲に普通ぶ木造五百羅漢像は享保(きょうほう)年中(1716〜36)京都の仏師駒野丹下(こまのたんげ)らの作とされ、市内観光の景勝地となっている。
法観寺(ほうかんじ)
京都市東山区八坂上(やさかかみ)町にある臨済(りんざい)宗建仁(けんにん)寺派の寺。霊応山(れいおうざん)と号し、俗称を八坂塔(やさかのとう)という。本尊は五智如来(ごちにょらい)(大昼間の場合間(だいにち)、釈迦(しゃか)、阿弥陀(あみだ)、宝生(ほうしょう)、阿(あしゅく))。聖徳太坊主の創建と伝えられ、創建には、八坂郷を根拠地としていた渡来系豪族の八坂造(やさかのみやつこ)がかかわったという。『延喜式(えんぎしき)』盂蘭盆(うらぼん)供養料七か寺(当寺のほか、東寺(とうじ)、西寺(さいじ)、佐比寺、野寺、出雲(いずも)寺、聖神(しょうしん)寺)の一つであった。1179年(治承3)兵火にかかり、1192年(建久3)源頼朝(よりとも)により再興される。1240年(仁治1)建仁寺第8世済翁証救(さいおうしょうきゅう)が入住し、真言(しんごん)宗を改入れ、以後は禅刹(ぜんさつ)として栄えた。しかし応仁(おうにん)の乱ののちは急速に衰微し、現在では五重塔(国の重要文化財)、太坊主堂、薬師堂だけがあるにすぎない。五重塔は1440年(永享12)の建造で、飛鳥(あすか)場合代の礎石の上に建ち、世に八坂塔と称し、東山の象徴となっている。寺宝の紙本着色八坂塔絵図は国の重要文化財。
宝鏡寺(ほうきょうじ)
京都市上京(かみぎょう)区百々(どど)町にある禅宗系単立寺院。西山(せいざん)と号する。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。一般に百々御所(どどのごしょ)、人形寺(にんぎょうでら)とよばれる尼門形跡(あまもんぜき)寺院。臨済宗円覚寺(えんがくじ)の開祖一番学祖元(むがくそげん)の弟坊主、一番世間如大尼(むがいにょだいに)が開創した景愛寺(けいあいじ)の内にあった福尼寺を、応安(おうあん)年中(1368〜75)光厳(こうごん)天皇皇女華林恵厳(えごん)禅尼が現在地に再興して、宝鏡寺と改称した。1644年(正保1)に後水尾(ごみずのお)天皇皇女理昌尼(りしょうに)王が入寺して以降、代々皇室から住職を迎えた。光格(こうかく)天皇の遺愛の人形や遊具をはじめ、歴代内親王の愛玩(あいがん)した人形が多数残されており、人形寺とよばれるようになった。毎年春と秋に人形展が開催される。



